PBL

八雲学園 八雲式PBLの奥義

来春、八雲学園は、共学校化する。どんな学校に変わるのか?5月20日「第1回ミニ説明会と体験教室」は満席となった。説明会では、八雲学園が積み上げてきた教育の総合力と先鋭的なグローバル教育を、女子だけではなく、未来を拓く子どもたちすべてに機会をつくる時代がやってきたがゆえに、共学校化を決断したのだということについて語られた。

理科の体験教室では、未来を拓くアカデミックなサバイバルスキルについて学んだ。アカデミックなサバイバルスキルとはCT(Critical & Creative Thinking)スキルである。by 本間勇人 私立学校研究家

2020年大学入試改革に伴って改訂される学習指導要領の1つの柱が、「主体的・対話的で深い学び」と呼ばれているアクティブ・ラーニングであるが、学びのスタイル、学びのパターン、キーコンピテンシーまでは議論されていても、実際の問題を解決する見通しの立て方、仮説の立て方、検証の仕方などが、そのような学びの中でどのように生徒が学ぶのかまでは論じられない。

まして、なぜそのような見通しに気づくのか?なぜそのような仮説が立てられるのか?なぜそのような検証の仕方を思いつくのか?など実践的な思考スキルについては、教師一人ひとりの暗黙知のままなのである。

優秀な教師に限って、その思考のスキルは見える化されることはなく、出来る生徒のみ教師の背中を見て、身に着けていく。しかし、学校は修行の場所でも職人集団の場所でもない。徒弟制度によって思考のスキルが伝授されるのではなく、生徒一人ひとりすべてが思考のスキルを身に着けられるのが教育の場である。八雲学園は、すべての生徒の才能にこだわてってきた。一人ひとりの生徒の世界観にこだわってきた。

ところが、20世紀型教育は、出来る生徒はできるが、出来ない生徒はいつまでもできないという格差を平気でつくってきたのだ。八雲学園は、チューター方式を実践してきた唯一の女子校として、一人ひとりに適合する学び方を模索し、思考スキルを全員が身に着けられる教育を開発してきた。それを授業で体現したのが、八雲式PBLである。

2045年に向かって、格差社会の進行はどんどん進む。なんとか、これまで、この八雲学園のような教育の恩恵に浴していない男子にも、機会をつくりたい。その想いが共学校化の決断につながったのだと思う。

(体験教室のスペース理科実験室にはいると、顕微鏡が並んでいる。覗いてごらんと声をかけられる。「顕微鏡」という媒介項が、日常の生活を超える体験を誘う。液体窒素の実験の伏線になっている。)

そして、その八雲式PBLのプロトタイプが、今回の「体験教室」である。学習内容は「-196℃の世界へようこそ!~液体窒素の実験 2017~」であったのだが、液体窒素の性質のみを学ぶのではない。液体窒素を活用して、物質の性質を検証する思考スキルを可視化するのが目的。科学とは、未知なるものや目に見えないものの存在を実験器具などを「媒介」して検証していく学問である。

子どもたちは、科学の根本的な学びの概念を体験したのだ。ラウンドスクエアに加盟している八雲学園にとっては、欧米の中学の理科では、最初の段階で、この点を徹底的に学ぶことを十分に理解している。手持ちの知識や身の回りの物で、検証していく思考スキルがあるからこそ、正解が1つではない問題に直面したときに創造的に問題解決できるのである。

(実験が始まる待ち時間で、音叉を使って、音がどうやって伝わるんか検証。問答の中で鼓膜の原理に気づく生徒もでてくる。音叉という「媒介」が聴覚と環境の関係についての考察に広がっていく)

多くの学校は、あたえられたトリガークエスチョンをモヤ感満載で考える環境がアクティブラーニングだとかPBLだとか錯覚しているし、そのような状況でグループディスカッションすれば最適解が生まれると信じている。そこには何の根拠もない。偶然すばらしい回答が生まれるときもあるが、ほとんどの場合、思いつきに等しい回答が並ぶ。それをいろいろな考え方があり、多様性があってすばらしいと評価する。

思考のプロセスが大切だと言いながら、どんなスキルをその都度使ってきたのか、プロセスを振り返ることすらできない。それでも、教え込まれるよりは、議論ができる環境がある方がモチベーションはあがる。モチベーションがアップすれば、突破口を見つける生徒がでてくる確率が高くなる。しかし、全員ではない。それは教育ではない。本物のPBLを世に伝えなければ、フェイクとしての教育が広まってしまう。

(様々な物質の融点・沸点を目検討で、推理させ、それをグラフに置き換える。この作業も科学における大切な思考スキル)

ダメージを受けるのは、目の前の子どもたちだ。もはや女子だけではなく、男子もこの危うい教育に身をさらさせていてはいけない。自分たちのできる範囲でまずはじめ、仲間を増やしていく。まずは、隗より始めよだと、静かな内なる情熱を燃やしながら、八雲式PBLを公開することに踏み切ったのである。

たった40分という時間に、いくつも「比較」の実験を挿入し、「差異」を明らかにしながら、仮説を検証していくループの連続体が八雲式PBLである。物質の3つの状態を40分という短い時間で検証するにはどうしたらよいのか。非日常的な空間を作りだすことで、日常生活では見えなかったことが見えてくる。だから「液体窒素」なのかと参加者は気づくわけだ。

バラの花を液体窒素にいれたらどうなるか?それもサプライズではあるが、さらに造花のバラをいれると、変化が起きない。一体なぜなのか?その「差異」は何か?弧参加者の中から「水分」ではないかと。すると、ティッシュで試みる。最初は変化が起きない。次に水分を含ませたティッシュを液体窒素に入れると、なるほどという変化が起きる。こういう、こまめな「差異」と「検証」を繰り返いしていく思考実験が、八雲式PBLだ。

今度は、コイルで電池につないだ電球をとりだして、コイルを液体窒素に入れると、どうなるか?コイルが凍って電気を通さなくなるのではないかとか、リニアモーターカーと同じことなどと意見がでてくる。結果は電球の光が強くなってくる。どうやらコイルの抵抗が弱くなっているからではないかとなる。

(女子も男子も次々繰り出される仮説検証実験に魅了された)

では、今度は電池をいれてみると、どうなるか?どんどん光は弱くなる。電池とコイルとでは何が違うのか?どんどん「差異」を考えていく八雲式PBL。

「差異」を見つけることは、驚きを見つけることであり、驚きは「好奇心」「開放的精神」「なぜというクリティカルシンキング」を発動する。

二酸化炭素をドライアイスにする実験も、瞬時に行われ、実は3つの物質の状態変化をショートカットする昇華の体験もする。実際に液体窒素に触れる体験もする。それらが、創造的思考力を膨らますのは言うまでもない。

このように、目の前に非日常の実験環境をつくり、それを「媒介」として、新しい気づきを引き出していく。それは、やがて「原理」という一般化へと向かう。そこに行きつくまでの、こまめな仮説検証の過程のループ1つひとつが思考スキル。物質の変化とはどういう原理によって発生するのか?子どもたちは、八雲学園で学ぶ入口に立った。それはGrowth Mindsetができた瞬間だった。

順天「探究型サイエンス×グローバル」の風格

順天で高2生のサイエンスクラスのポスターセッションが行われるというので取材に行ってきました。順天は、スーパーグローバルハイスクール(SGH)としての研究活動や、イングリッシュクラス(Eクラス)での4技能重視の英語授業など、グローバル教育の面がよく話題になりますが、もともと和算の大家としてその名を馳せている福田理軒によって創立された順天堂塾にそのルーツがあります。理軒と言えば、黒船来航時にその大きさを測量する技術を紹介したり、西洋の筆算を日本に広めるなど、江戸時代から数学の理論を実践に応用していた人物ですが、この理軒の進取の精神に則った探究型理数教育のミームが順天には確実に受け継がれています。 by 鈴木裕之:海外帰国生教育研究家

ポスターセッションの会場に入って最初に目に飛び込んできたのが、「Item Response Theory」と書かれたタイトルのポスターです。
 
思わず近くに寄って、本当にそう書いてあるのかどうか確かめに行ってしまいました。というのも、「IRT(項目反応理論)」というのは、テストの妥当性や信頼性を考えるためのツールで、このような理論をなぜ高校生が探究するのだろうかということが最初私の頭の中でうまく結びつかなかったからです。
 
彼らがその理由を英語で解説しているのを見ていて納得するのと同時に大きな衝撃を受けました。メモもなく英文の暗記でもなく、IRTの説明を専門用語を交えながら他国の人に分かるように行っているという英語力もさることながら、本当に驚いたのはそのクリティカルな視点です。
 
日本の高校にある「赤点」という制度の解説から入り、その基準が平均点や標準偏差とは関係なく決められていることに疑問を持ち、IRTというテスト科学の存在を知ったというのです。
 
目の前で説明を聞いているのは、中央アジアや東南アジアの同じ高校生たち。おそらく赤点という仕組みも馴染みがなかったのではないかと思いますが、テストの妥当性を検証するという題材を選んで探究している日本の高校生を興味深そうに見ながら、説明を聞いていました。
 
 
説明の後、プレゼンターの二人に取材をしてみると、リサーチをしていく中でIRTの存在について教えてくれたのは数学の先生だったということです。
 
生徒の興味と「問い」を活かし、適宜メンターとしてのアドバイスを行うという、探究をベースにした対話が繰り広げられているのだと、改めて順天の先生方の質の高さを見せつけられる思いでした。海外でIBディプロマを履修する高校生は、「Extended Essay」という研究論文を書くことになっていて、テーマ選びから執筆の際の注意まで担当教科の先生がアドバイスを行いますが、これと同様の探究対話が順天では伝統的に根付いているのです。
 
片倉副校長先生は、大人数を前にしたプレゼンテーションとの違いに触れながら、ポスターセッションの醍醐味は、プレゼンターとオーディエンスの対話が起きる点にこそあると話してくださいました。
 
メンターである先生との対話のプロセスを経て探究してきた活動成果を発表するポスターセッションは、最終結果を披露する場ではなく、自分達の活動を検証していく一つのプロセスとなっています。このようなクリティカルな対話を通して、彼らは自分達の科学的思考を磨いていくことになるわけです。
 
片倉先生のお話を伺い、順天がポスターセッションをたびたび実施する理由がよく分かりました。
 
今回のポスターセッションに向けた探究活動は、1年前から準備をしていたものです。最初にグループを決めるそうですが、グループの決め方は生徒に任せていて、個人でやっても構わないということです。
 
片倉副校長は、グループで協働することは大事だが、協働という名を借りた依存であってはならないとお話されていました。ですから、ポスターセッションでは、一人で発表している生徒もいれば3人グループという発表もあり、人数はまちまちでしたが、リーダーに任せて自分は見ているだけという生徒は一人もいませんでした。皆が主体的にプレゼンテーションに参加しています。
 
このようなサイエンスクラスの主体性は、先生方が陰でプログラムを綿密に組み立てていることで実現されます。今回の英語によるポスターセッションは、3月に実施した日本語によるサイエンスイベントがベースになっており、生徒がジャンプするハードルの高さにきちんと段階が設定されているのです。
こういった学年を超えたカリキュラムの設計は、サイエンスクラスを牽引している高野幸子先生や中原晴彦先生を初めとするサイエンスクラスの先生方のチームワークが良好であるからこそ可能なので、部分的に採り入れて実行しようとしてもなかなか実現できることではないでしょう。
 
 
ポスターセッションでは、他にも印象的なテーマがいくつもありました。
例えば、「Theory of Happy Probability」などはタイトルのつけ方がとても素敵だと感じた発表です。四つ葉のクローバーがどのような条件下で、どれほどの確率で出現するか、実際にクローバーを育てながら検証してみるという試みです。

また、「第一印象が与える影響」を検証した研究や「コンピュータ言語」について調べたもの、「モーツアルトの音楽の効果」など、いずれも非常に高度な科学的思考が展開されていました。
 
会場には、フィリピンやマレーシアといった東南アジアの高校生の他に、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタンといった中央アジアの高校生も多くいて、ポスターセッションの合間に、そこかしこで記念撮影などが行われるほど、相互に打ち解けていました。
 
昼食の時間でも各国の生徒同士が自然とグループを構成し、お菓子の交換をしたり自己紹介をしたりしていました。お互いのプレゼンテーションについても深く掘り下げる機会となっていたはずです。
今回のポスターセッションには順天の高1生も何人か参加していました。次年度の視察のためです。こうして対話を通した科学的思考の伝統が翌年に受け継がれていくわけです。
 
 

 

三田国際 未来を拓く「基礎ゼミナール」

三田国際学園中学校・高等学校(以降「三田国際」)の本科では、中2から週2時間「基礎ゼミナール」を実施している。「経営」「理論物理」「アプリ制作」「遺伝子工学」「細菌学」「言語記号論」というような学問的な背景が横たわっている探究テーマをPBLスタイルで研究していく。

今回、田中潤教頭の「経営」をテーマにした基礎ゼミナールの様子を拝見した。by 本間勇人 私立学校研究家

(文化祭という擬似市場で商品を販売する株式会社を創業する起業家プログラム。中3に社長・副社長がいて、中2・中3と協働して株式会社を運営していく。田中先生はコンサルタントさながら。)

1時間目、中3は、組織論やマーケティング理論をみっちり学び合い、2時間めに中2とともに会社を創っていく準備にはいる。文化祭では、出店する外部からの本物の会社がある。その会社は、いあわば競合他社ということになる。

文化祭に訪れる人々を消費者に見立てて、自分たちの会社の比較優位を計算していく。SWOT分析を田中先生が文化祭という擬似市場にアレンジしたマトリクス表を使って行っていく。マーケティング戦略をつくりあげていくのだ。

その際、中3メンバーは、組織論に基づいて、マネジメントしたりモチベーションを持続可能にしていったりする。何せ相手はプロフェッショナル。そこと競える会社を創るにはどうしたらよいのか。強みや弱み、機会や脅威を分析していく。

経営企画会議よろしく、グループディスカッションをしている間に、他の基礎ゼミも案内して頂いた。どの教室も「好奇心」「開放的精神」「批判的精神」がさく裂していた。あのファインマン教授が、科学者としての才能の3要素と語ったものであるが、まさに小さな研究者の頭脳が躍動していた。

理論物理の基礎ゼミナールでは、ベナール・セルと呼ばれる渦をつくる対流を観察していたが、田中先生のゼミの生徒がこの姿を見たら、組織論として散逸構造をどのように活用するか越境的想像を膨らますだろうなあと、この基礎ゼミの無限の可能性を感じ、見ている側もワクワク興奮した。

アプリを創ったり、プログラミングしている中2の生徒とかもいて、すぐにもエンジニアになれるのではないかとその才能の可能性に驚きもした。

生物の教室では、生命科学の研究をしている生徒たち、言語記号論では絵文字の言語学的アプローチをしたりして、現代コミュニケーション論を組み立てていた。

ちらっと見学しただけでも刺激的だったが、一年間1つのテーマを追究していく生徒たちが知的にも感性的にも大きく成長するのは火を見るよりも明らかだった。目の前に希望のスペースがパッと広がった。

後ろ髪をひかれつつも、田中ゼミに戻ってみると、白熱議論が起きていた。

「機会」と「脅威」は、実は分けにくい。表裏一体で、機会は常に脅威になるし、脅威は機会をつくるなど、マーケティングのダイナミズムについて、直観的なのだろうが、なかなかセンスのよい議論していた。そして、私たち大人は、今まで中高生をあまりにも決められた枠の中に押し込めてきたのではないか、もっと中高生の発想の自由を、三田国際のように大切にしたほうがよいのではないかと改めて思いもした。

中間報告のプレゼンも、大人顔負けの指摘が多々あった。たとえば、消費者を抽象的に捉えずに、人脈分析をして、セグメントまでしていたし、競合他社とのブランド力の差や立地条件の差異などを分析し、そこをどのように解決すべきかあるいは意志決定すべきか課題を明らかにしていた。

グループワークの合間に、田中先生に、企業活動が、リーマンショックに代表される欲望の資本主義の常であるリスキーなものを生み側面もあることについて、今回議論するのですかと尋ねてみると、もちろん会社を創業する時の理念を決めますが、そこで、社会と自分たちの幸福についての均衡をどうするか当然議論が生まれますと話してくれた。

この基礎ゼミナールで、生徒は会社を創業し、運営し、利益をきちんとあげ、決算報告や社会貢献まで考案し体験していく。田中先生によると、実際に社長や会計士にもきてもらい、アドバイスをしてもらうチャンスも作っていくという。

起業家プログラムというと、外部のプログラムに丸投げのところが多いが、田中先生は、すでにある学校の環境や、自分たちのネットワークを、市場経済の環境に見立てて、コンパクトにブリコラージュ的手法で作っていく方が学びの効果があると語る。

砂漠に放りなげられた時、身の回りにあるものを、サバイバルのための道具に仕立てる柔軟な野生の思考こそが、たとえ第4次産業革命になったとしても、いややはり予測不能な社会という点では砂漠と同じで、そこでサバイブするには、柔軟で創造的なブリコラージュ的思考が役に立つことは間違いない。田中教頭の英語圏の発想にはないフランス―ドイツ的な学問発想が、三田国際学園のインターナショナルな教育の奥行きを深くしているのだろう。

工学院 さらなる挑戦

工学院大学附属中学校・高等学校(以降「工学院」)は、21世紀型教育を完成するべくさらなる挑戦に取り組んでいる。それは、2020年大学入試改革で予想される大学入試問題の研究を通して、そこから越境する知の領域に拡大する授業のGrowth Mindsetに取り組むという教育活動。

21世紀型教育というと、巷では、多様な経験を積み上げ、創造的な活動をすることが第一の目的で、大学合格実績は二の次であるという間違ったイメージがある。それは全く違う。そのような考え方は学校や教師の立場の話であって、先鋭的な21世紀型教育はあくまで生徒の未来の生き方の可能性をいまここで共に考え、関門を乗り越えていくというところにある。その生きていく道に大学進学があれば、当然そこを突破する。

ただし、そのとき、21世紀型教育は21世紀型教育、大学進学指導は大学進学指導と二項対立にはもっていかない。両方を融合するというのではなく、両者は1つのシステムに収まるのである。by 本間勇人 私立学校研究家

2020年大学入試改革で、今メディアで話題になっているのは、大学センター入試に替る新テスト「大学入学共通テスト(仮称)」(これまで「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」と呼ばれてきたテスト)。特に英語4技能教育と記述式問題。しかし、工学院では、この点に関してはすでにカバーしているから、やはり最終関門である各大学個別入試を素材にして研究に臨んでいる。

とはいえ、2020年になっていないのであるから、各大学個別入試はまだない。しかし、従来の知識論理型思考をベースにした問題から論理創造型問題になるのはある程度想定済みであるから、現状すでに実験的に変わり始めている国立大学の問題をヒントにして研究していこうという試みである。

たとえば、今年の東大の数学の問題を、その場で、数学科の主任が解きながら、生徒にとって何がハードルか分析していく。そして、プロジェクトチームのメンバーが、教科を超えて質問していく。この数学の問題のどこに新たな地平が開かれるヒントがあるのかと。

すると、東大受験の生徒は体験してきただろうが、そうでない生徒はあまり体験しないで、大学に進んでいくということが判明していく。東大を受けるからそのような思考方法が必要で、そうでない生徒は不要というのが、20世紀型教育の効率重視の授業デザインだっただろう。

ところが、数学は公式やパターンを当てはめながら解けばよいのではなく、ある程度与えられた条件を整理しながら、なぜこの条件なのか予想する目検討の構えが必要であるということは、実は数学に限らず必要なことだという議論がでてくる。奥津高校教務主任は、それはバックキャスティングという発想で、数学をはじめとする教科だけではなく、イベントの企画を創るときにも必要な力だと語る。

その点に関しては、教科の違うメンバーで構成されたグループワークで議論しながら抽出していく。東大の数学の問題にフォーカスしながら、その背景にある思考スキルや発想という思考の領域に越境していく。

数学の教師としては、そんなのは当たり前であると通過してしまうようなところで、他教科の教師が、今の代入はなぜ生徒はしようと思うのか?パターンを当てはめるだけではないという判断はなぜできるのか?結局数学の思考スキルは1つの種類のバリエーションということなのか?国語でもそのスキルは実は重要だが、もう少し種類はあるかななど、数学科の教師の暗黙知を引き出していく議論が白熱する。

そして、東大の問題が解けるようになるにはというお題ではなく、素材として扱った東大の問題から見出した突破する思考スキルやコンピテンシー、発想法を身に着けるには、中1・中2のときに各教科でどんな授業をデザインしていくのか、中3・高1ではどうするのか、高2・高3ではどうするのかと6年間通じてのカリキュラムコンセプトのデザインをしていく。

このプロジェクト名は「qチーム(クエストチーム)」。中学の教科主任、高校の教科主任、各教科のリーダーで構成されている。各教科に浸透させていくと同時に、高校では、ダイレクトにこのような入試問題をトリガーとして展開させていく授業の場面も増えていく。

このqチームの探究活動で、素材としての大学入試問題を選択する太田中学教務主任、奥津高校教務主任、田中英語科主任は、「難度」で選択しているのではなく、「思考コード」に照らし合わせて「論理創造型思考を要する問題」、「ルビンの壺型問い」が埋め込まれている問題を探し出す。素材としての大学入試問題の選別眼は、実は問いを創るときの視点と重なる極めて重要な研究でもある。

 

静岡聖光学院 新草創期の息吹

風かおる東の道のたたなわる小高き丘になつかしく学び舎は立つ。静岡聖光学院は、南に太平洋を望み、北に富士山を仰ぐ、澄み切った空気に包まれる丘の上にある学校。雨が降り、霧が立ち込めれば、天空の城ラピュタさながらだとも言われている。
 
来年2018年、静岡聖光学院は、中学校設置認可されてから50年が過ぎようとしている。学内では、周年事業の一環として、ハードパワーではなく、教育のソフトパワーのさらなる進化/深化を追究することに決めた。by 本間勇人 私立学校研究家
 
 
(左から、星野明宏副校長、岡村壽夫校長、田代正樹副教頭)
 
それは、開設当初ひたすら学問の自由を追究したアカデミアの殿堂を引き継ぐことも意味する。開設当時、最先端の教育ソフトを実践し、生徒の未来をともに創ってきた草創期の息吹を、50年目、再びもっともっとふくらますというのだ。
 
開設当初の教育ソフトとは、「学問」そのものであった。当時の初等中等教育の学習指導要領は「現代化カリキュラム」と呼ばれ、スプートニク・ショックという衝撃が生み出した宇宙をも視野に入れた科学の最前線を生徒と共有しようという時代だった。
 
 
(身近な問題から、合意形成のルールを抽出するPBL型授業)
 
現代数学や最新の科学の内容が盛り込まれ、時間数も、脱ゆとりの学習指導要領と比べても16%も多かった。それゆえ、その濃密過密の反動として、ゆとり教育への路線を開いたのも確かだったが、初代のピエール・ロバート校長は、学習指導要領の量を問題にするのではなく、その背景にある時代の精神を引き受けた。
 
それは、目の前の生徒にとって未来を拓くカギは、学問や科学であり、「聖光 聖光よ望み湧き わが命拠る アカデミア」と聖光讃歌にあるように、未来を創り社会に貢献するには、大学で研究ができるアカデミアという学問の道を説くことなのだと。当時の大学進学率が20%いかなかったことを鑑みれば、いかに斬新な教育だったか了解できる。
 
 
(自然科学の知識や用語を、英語で調べ直す作業も)
 
岡村壽夫校長は、母校静岡聖光学院の2期生であるが、開設当初から、自分の好きなことにチャンレンジする気風があったと語る。チャンレンジには失敗がつきものであるが、大いに試行錯誤が奨励されたという。それは、教師も生徒も同様で、したがって、教師は専門教科以外に自分の好きな領域についても生徒といっしょに探究してきた伝統があると。
 
そして、50年。同校にとって、歴史を積み上げてきた記念碑的な数字であるが、同時に時代は、第4次産業革命の衝撃、人工知能のシンギュラリティショックという異次元の局面にぶつかっている。
 
 
(英語のスピーチをペアワークで)
 
アカデミアへの強い意志は、新たな科学、技術、エンジニアリング、数学、哲学などへ再び挑戦する時を迎えたのである。
 
星野明宏副校長は、「この大きな時代のウネリに立ち臨むには、小手先の改革改善では歯が立たない。あたかも新しい静岡聖光学院をもう一校創り出す新草創期の気概で行動しなければなりません。幸い学問への気風の伝統があります。それを引き継ぎながら、新たな学問環境に備える最先端の教育ソフトパワーを展開する50周年にするべく動き始めたのです」と気概に満ちている。
 
そして、そのアイデアは、「アカデミア部」という新たなプロジェクト部署を立ち上げてすでに実践が始まっている。
 
その中核メンバーである田代正樹副教頭によると、アカデミアの活動として「個人研究」「職業体験プログラム」「ゼミナール活動」など多様な探究活動が進化/深化しているということだ。特に、50年という歳月は、OBの中に東大や京大の教授も輩出し、後輩である在校生と学問研究プログラムの協働活動も進んでいるという。
 
たしかに、大学の学問も再構築される時代である。中高もその動きに対応するには、学びの環境そのものを進化させる必要がある。そして、同校のアカデミア活動を支える生徒一人ひとりの好奇心、開放的精神、探求への眼差しという内発的動機づけは、日々の授業が源泉となる。
 
 
(素数のルールについて対話している数学授業のシーン)
 
静岡聖光学院が探究授業としてのPBLやC1英語教育、ICT教育を大胆に授業でスタートした理由は、以上のような50周年記念事業を機に描いた教育ソフトパワーの大きなグランドデザインに根差していたのである。
 
 
(授業中は、静かに生徒を見守る人工芝)
 

聖学院 知のデザイン広がる <難関思考力>

聖学院のSGT Super Global Teacher)児浦良裕先生と対話した。児浦先生は、数学教師であると同時に、聖学院の21教育企画部部長。知のコンセプチャルデザイナーである。それゆえ、聖学院の生徒一人ひとりの創造的才能を引き出し、実現していくGRIT(気概)を鍛えるクリエイティブコーチングプログラムを、中高一貫という6年間に張り巡らそうとしている。

それがいかなるものなのか、その全貌のデッサンは今年の秋ぐらいに表現できる予定であるというから楽しみである。それにしても、児浦先生自身、数学的思考をアンチ専門分野主義的に拡張できるSTEAM思考の持ち主であるがゆえに、対話していく過程で、いろいろな発想が湧いてきた。今回は聖学院の知のデザインの素描の素描をご紹介したい。by 本間勇人 私立学校研究家

(2017年2月19日、本機構主催「第1回新中学入試セミナー」でも児浦先生は登壇)

聖学院の「思考力入試」は、多くのメディアや受験情報誌で取材され、注目されている。それは、この入試の問いや生徒の思考活動が、従来の知識論理型思考をジャンプして論理創造型思考まで問うているために、生徒一人ひとりの創造的才能を引き出す新しいテストであり、また、2020年大学入試改革の背景にある知のパラダイムのプロトタイプでもあるからだ。

生徒の創造的才能を引き出すエンパワーメント評価として、同校では「メタルーブリック」が開発されている。G1・G2・G3・G4という独自の思考の次元がデザインされている。おそらくG1は単純思考、G2は拡張・収束思考、G3は関係思考 G4は創造的思考というステップになっていると思われるが、思考する素材や対象などに応じて、具体的に「ローカルルーブリック」を設定している。上記はレゴプログラムの「ローカルルーブリック」の簡易版であるが、これが論述やプレゼン、読解力、数学的思考・・・などそれぞれに応じて、変容適用されていくのだろう。

すでにプロトタイプができているのだから、来春も同じように行っていくのかと思っていたが、児浦先生いわく、「プロトタイプは再構築、つまりリファインして進化していくものです。コンセプトという種が芽を出し、葉を広げ、開花し、再び実を結ぶように、成長していくものです。ですから、来春はもう1つ新しい<難関思考力入試>を行います」ということだ。

今まで行ってきた「思考力+計算力」は、自分の思考過程をモニタリングしながら自ら思考の次元をステップアップしていく「批判的思考力」が中心。生徒によって創造的才能の成長の仕方は異なる。その才能が引き出されるには、それぞれのタイプに応じたプログラムが必要。思考を1つひとつ積み上げて行く中で、あるときピョンとジャンプする成長タイプの生徒もいる。

(同セミナーで児浦先生がプロジェクターで映し出した図)

これに対し、紆余曲折、眩暈がするのではないかと思うほどグルグル回ったり、アップダウンを繰り返し思考に没頭できるモヤ感耐性のある生徒は、その霧の中からある瞬間パッと閃くというタイプの生徒もいる。そういう生徒は、レゴを活用した「思考力 ものづくり」が適している可能性がある。

児浦先生の「21教育企画部」のチームメンバーとPBL(プロジェクト型学習)型授業や行事の試行錯誤/思考錯誤を繰り返している中で、生徒の才能の成長タイプが見えてきたという。高等部部長の伊藤豊先生の最近接発達領域の研究が、ここにつながったようだ。

それでは、<難関思考力入試>は、どの才能成長タイプを想定しているのだろうか。児浦先生いわく「現状では、今までの2つの才能を統合・融合したタイプを想定して問いを生み出そうと思います。ただ、2つのタイプに適応する問いを並べるだけではなく、2つのタイプが結合したときに起こるケミストリーが全く新しいタイプを生み出すことになると思います。すでに、在校生の中にニュータイプが存在しているので、そのような生徒のリサーチもしつつ、練り上げていきますから、楽しみにしていてください」ということだった。

ワクワクする話を聞いてしまったがゆえに、刺激を受けて、私なりに聖学院の知のコンセプトがイメージになった。独断と偏見ではあるが、こんな感じである。児浦先生は、いや違います。こうですよということになるだろうが、それこそが、聖学院の対話思考である。今後のSGT児浦先生との対話を期待して頂きたい。

 

香里ヌヴェール学院 永遠の瞬間の授業

PBL型授業を本格的に開始した香里ヌヴェール学院。いわば共学一期生の中1、高1の授業は一斉にPBL型授業の花が満開という雰囲気だ。by 本間勇人 私立学校研究家
 
 
(上木先生の対話が開く永遠の瞬間)
 
 
しかし、いつの世にも、いつの領域にも極めるという達人がいるものだ。達人の授業とは自然体だし、気負わないし、それでいて内面のパッションとパワーの気はドラゴンの炎のごとき実体である。
 
フランク・ロイド・ライトは、岡倉天心の茶の本のタオの精神に、ハイデガーの住まう存在論も超える建築空間の境地に達していた。
 
ジョブスも禅の境地に目覚めていた。マズローも五段階欲求説を自ら超越する禅の世界を見てしまった。
 
松岡正剛がクリエイティブコーチングの本と共鳴するのは、やはりその精神が岡倉天心の茶の本に通じるところがあるからだった。
 
多次元知能にどうしても実存的才能を入れざるを得なかったハワード・ガードナーも禅の世界に魅力を感じざるを得なかった。
 
しかし、その刹那の境地は永遠の瞬間であって、普通は見えない。しかし、見える時がある。道/未知からの誘い。それである。
 
 
(ペアワーク。対話の瞬間を開く英語の古賀先生)
 
ふと中1や高1の授業ではなく、中2の上木先生の授業が見たくなった。となりの中1の部屋では、明るく元気な優れた英語の先生方がPIL×PBL型授業を行っていた。5時間目、6時間目だというのに、生徒は、疲れも知らず、言葉と音とイメージと意味とパフォーマンスのハーモニを奏でていた。
 
このような授業が6年間続けば、たしかにB2レベルの英語のスキルのみならず、英語でハイレベルの議論ができるC1レベルに到達するなあと感心しながらも、上木先生の中2の授業が気になった。
 
クラスに入ってみると、脳内世界がパッと広がった。まるでマトリックスの映画の中に迷い込んだかのようだった。自然体の対話からしなやかな言葉の行為が映し出されている。
 
 
比較のマトリックスがどんどん螺旋上に上昇して脳内にたちまち知のドラゴンが組立てらていく感じ。見開きの地図がマトリックスになって、そこに歴史、文化、自然、言語、理念のそれぞれのマトリックスが結びつき、立体を組み立てていくのだ。
 
その頂点からは、人間の歴史のアンビバレンツな出来事から生まれ出ずる不安や恐れがかなたに見えたかと思うと、見えなくなり、安らぎが訪れる。そこで、ハッと目が覚める。あっという間の授業。永遠の瞬間の中の知の出来事だった。
 
 
(休み時間の質問の瞬間も対話がふくらむ中1の英語の平田先生)
 
歴史の授業だったのだが、知識は生徒の周りをぐるぐる回り、必要な時に、引力で引きつけられるように結合していく。もはや生徒にとって、知識は憶えるものではなく、吸い込まれるように高密度の知の宇宙へと変容していく。
 
おそらく私たちが属している世界はリアルなのではなく、現象なのである。その現象の向こうに一瞬開いた永遠の世界。それが授業の究極の境地である。
 
所詮、PBL型授業は、上木先生の永遠の瞬間をプロジェクターで映し出している幻影にすぎないのではあるまいか。
 

アサンプション国際 校長哲学教室 さらに進化/深化

今年4月からアサンプション国際は、共学化、校名変更、21世紀型教育改革という大転換を果たした。すでにご紹介したイマージョン教育やPBLの授業も、速くも広がり深くなり始めている。
 
そんな中、同校の改革のエッセンスすべてが凝縮しているのが、江川校長哲学教室である。by 本間勇人 私立学校研究家
 
 
 
というのも、前年度行っていた校長哲学教室は、すべて女子生徒だったが、今回からは男子も共に参加して行えるようになっているし、学びのスタイルは、PIL×PBLであるし、プログラム最後の振り返りで自分を語るときは英語で表現するからである。
 
また、学びの空間も、ICT環境が完備しているフューチャー・ルームで行われた。そもそも、この哲学教室そのものが、リベラルアーツの現代化なのである。なぜ現代化であるかというと、哲学教室というと、プラトンからカントくらいまでの哲学者の考え方が基礎になるのが一般的である。
 
 
(まずはアイスブレイク。共感的コミュニケーションの足場作り)
 
しかし、アサンプション国際の哲学教室は、現代思想や心理学、社会学など学際的だし、扱う素材もアンチ専門分野主義で、新しい知の地平、つまり要素還元主義から関係総体主義へというパラダイム転換を基礎とした21世紀型教育の哲学がベースである。
 
今回も素材は、「ルビンの壺」「ドーナツとマグカップ」「グローバルゴールズ」。これらが一体どんな関係にあるのか?なぜ「ルビンの壺」と「ドーナツとマグカップ」が「グローバルゴールズ」に関係するのか?
 
モヤ感あふれる出る分かち合いとなったが、江川校長とアルベール先生のファシリテーションとフィードバックで、生徒は、偏った見方や先入観から解放されるGrowth Mindsetがまず必要なのだということにだんだん気づいていくことになった。
 
 
ルビンの壺の絵を見て、壺に見えたり、波に見えたり、ベルに見えたり、二人の向き合っている顔に見えたり、いろいろでてきた。しかし、江川校長がどうしてそのように見えるのか問うことにより、何に注目するかによって、その時の気分や感情によって、違うとか、経験に照らし合わせて見えてくるが、その経験が人によって違うから、それぞれ違うのでは?とか多様なアイデアがでた。
 
哲学教室では、正解を出すのが目的ではないから、ルビンの壺の関係総体主義的な考え方については、説明することはない。それは、生徒自身が何かの局面で、はたと思いつくことだから、それでよいのだと江川校長。実際、今プログラムの途中で、生徒は気づくことになる。
 
ドーナツとマグカップについては、これ以外にどう考えればよいのかわからない、いったい何を問いかけているのかわからないと生徒たちは口々に語った。そこで、インターネットでNHKのアーカイブ「トポロジー」をいっしょに見ることにした。
 
 
見終えたとき、生徒たちの驚きの表情は想像するに難くないだろう。分かち合いスタイルなので、一人ひとり感じたこと気づいたことを順番に語っていくが、参加者全員が、ものの見方や考え方のコペルニクス的転回に到ったのは言うまでもない。
 
穴の数で、図形をカテゴライズするとは?硬い幾何学の世界に自分たちはいるが、柔らかい幾何学の世界もあるのかあ?と。しかも、このトポロジー的発想が、新物質を創るときに、すでに役に立っていたり、宇宙のカタチを考える時に役に立つなんてと、角度を変えてみると、先入観が崩れるという実感に、感動する生徒もいたし、どこかまやかしがあるのではとクリティカルシンキングを発動させる生徒もいたり、知と感情の合力が生まれていた。
 
 
そして、「ところで」と江川校長哲学教室のストーリーはいいよいよ「転」の局面に到った。「みなさんが学んでいるグローバルゴールズの中に男女の差別をなくそうというのがあるが、ジェンダーギャップが激しい例としてアフリカが話題にのぼることが多い。ジェンダーギャップについて、日本と比べるとどんな状態だろう、予想してみよう」と新しい問いが投げられた。
 
全体的にアフリカの方が日本より男女格差は激しいのではないかという仮説が多かった。中には、日本も項目によっては、低いかもしれないが、それでもまだ男女格差は改善されつつあるのではないかというのもあった。
 
そこで、世界ランキングンの一覧表が配布され、見てみると日本は111位ととても低かった。項目によって違うから、各国の状況の違いを無視できないが、それにしてもなんて自分たちは、もっと考え直さねばならない。憶測だけではなく、情報やデータを収集することの必要性を強く感じたと生徒は語っていた。
 
 
こうして、最終問題は、グローバルゴールズを達成するために、先入観から解放されなければならい具体的なケースにはどういうものがあるか、チームで議論して、まとめてほしいというものだった。
 
各チームがプレゼンを終えるたびに、教育社会学者でもあるアルベール先生は、生徒とクリティカルシンキングの対話を深めた。
 
たとえば、ジェンダーギャップと教育の質は関係ないと思っていたが、データを見ると関係があるように思える。教育の質を上げれば、よい仕事につけるから、男女の格差は縮小するのではないかと生徒がプレゼンすると、アルベール先生は、たしかにそれは正しいけれど、教育の質を上げて、よい仕事につけたとしても、インドのようにそういう人材がアメリカなどに移住すると、インド社会そのものは善くならないというようなパラドクスも起こる。さてどうするのだと。
 
 
生徒は、あっ、ルビンの壺だと。1つのことだけ見ていて、そのほかの関係性を考えていなかったと。もっと、視野を広くして考えてみなくてはと。
 
最後のリフレクションでは、日本語だとたくさん言えるのに、英語だと限られる、もっと英語を勉強しなくてはとなり、江川校長は、そう気づいたのなら頑張れるねと、クリエイティブコーチングも見事に果たしていた。
 
 
アルベール先生は、これが言語の世界が思考の限界。もどかしさが、Growth Mindsetを生む善き欲望ですねと私の方を向いて目で語っていた。あの微笑が印象深かった。
 
身近なものが、あるいは関係ないと思っていたものが、世界の痛みと強く関係する根本問題にいたり、そこから自分は何をすべきか、自分の才能を引き出し、キャラクターをデザインしていく生徒。アサンプション国際のミッションは今まさに実現しようとしている。
 
 

三田国際 最強のPBL

三田国際学園は、校名変更し、共学校化し、先鋭的21世紀型教育を断行して4年目がスタートした。3年間で中高の定員1200名をパーフェクトに満たす奇跡を起こしたが、その背景には、最強のPBL(Problem based Learning)型授業を教師全員で共有し、日々研鑽を積んでいく研修システムが構築されているからである。

そして、そのエグゼグティブリーダーは、間違いなく田中教頭である。田中先生の授業プログラムは、ちょっとやそっとでは真似できない優れた仕掛けが緻密に設計されている。おそらくただ見学していても、驚嘆、感動、感銘をうけるているうちに、肝心のデザインされた仕掛けを見抜くことを忘れてしまう。それほど、見る者を夢中にさせる魅力的授業である。by 本間 勇人

また、麻布や開成同様、一般には三田国際の授業は非公開だから、ますます田中教頭のPBLデザインは、神秘のベールに覆われ、それがかえって三田国際の授業の魅力を増幅させているのだ。

しかし、機会あって、今回見学することができた。名古屋出張だったが、またとない見学を逃すまいと、急いで戻ってきた。ぎりぎり間にあい、教室にはいると、なんと近代国家成立に影響を与えた3人の啓蒙思想家を学んでいるところだった。

たまたま、単元がそこだっただけなのだろうが、この帝国の時代から、近代合理性へのパラダイム転換の生みの親たちの授業を行っているところに立ち会えたとは、なんとも不思議な感じがした。というのも、三田国際は、この近代合理性の限界がもたらした、現在の世界問題を解決する新しい教育=先鋭的21世紀型教育を断行しているのだが、結局のところ、その根拠として啓蒙思想家の根源的な発想をどう超えるのかという議論を授業中に行っていたからである。

ここまで徹底して、いまなぜ自分たちは先鋭的な21世紀型教育という環境を選択して学んでいるのかを、近代の超克という歴史的パースペクティブの中で位置づけているのである。歴史の中の自分、パラダイム転換の旗手三田国際、新し社会を創る自分たち。生徒は、自分、学校、社会といった包括的座標軸的視座で学んでいるのだ。

歴史を捨象した独りよがりな自分探しとしての進路指導ではなく、歴史の中の自分を見定め、歴史を創る自分をイメージ化する作業が、三田国際の田中教頭のPBL授業なのである。

なるほど、教頭兼学習進路部長である。日々の学習とキャリアデザインの統括リーダーの意味が了解できた次第である。

近代合理性、特にカントとヘーゲルをどう乗り越えるかは、ハイデガーやガタリ、デリダなどの現代思想家が取り組んだ大問題のはずであるのにもかかわらず、生徒たちは軽やかに立ち臨んでいた。

カントやヘーゲル、ハイデガーを理解するには、啓蒙思想家の論理的仮説である「自然状態」をいかに分析し、脱構築するかにかかっている。そんなことは、教科書にも書いていないし、現代思想家もあまり語らない。しかし、カントはそれを物自体に置き換えたし、ヘーゲルは自然状態の弁証法的成長が行きつく究極の頂点「絶対精神」としてとらえたし、ハイデガーは現存在が気遣いから遠ざけてしまう「存在」に置き換えたし、そのような固定した見方をリゾームという新概念に置き換えたのがガタリである。そして、そのようなすべての設定を脱構築しよとしたのがデリダだった。

要するに何を言っているのかわからないのが現代思想であり、これが現代思想の限界。それをあっさり乗り越えてしまうのが田中教頭のPBL型授業なのだ。

生徒に、まずは個人ワークとして、自然状態に自分が置かれたら、どなると思うかという自分事から出発させる。知識の確認ではなく、知識が生まれる思考のプロセスを遡る。

そして、そのようなことになる「自然状態」がいかなるものか仮説を立ててみようということになる。チームで侃侃諤諤議論をして、プレゼン。この過程は極めてナチュラルでシームレスに展開していった。

生徒から、理性というのは自然状態にあるのかといったなかなかいい質問も、その議論の合間ににでてきた。すると田中先生は、帝国から近代にシフトするというのは、こんな感じだと語った。転んで足を痛めたときバチがあたったと言っていた時代から、転んだのは平衡感覚がとれなかったからだと言える時代に。生徒はドット笑った。理性と自然状態の関係を一瞬にして理解したのであるであるが、このメタファーで笑えるという知的レベルの高さに驚いた。

あるときは、クレヨンしんちゃんというのアニメをメタファーに国家成立について語ったりもする。遊びと学びのダイアローグが回転しているのが、田中教頭のPBLだ。PBLのスタイルの真似はできても、メタファーや問いの投げ方の奥義までは真似できない。

自然状態の定義を各チームごとにプレゼンしたあとに、すかさずリアリスティックアプローチ手法のリフレクションを投げかける。みんなの発想は、結局啓蒙思想家と近かったのではないか?ということは、君たちが今考えた過程は、啓蒙思想家とシンクロしていたんだよとフィードバック。

そのとき、はじめて生徒たちは、啓蒙思想家を乗り越える立ち位置にいることに気づいたのである。先人から知識を学ぶ方法を学ぶだけではなく、先人の限界の地平に立つことを学ぶ学び。青春時代に背伸びをすることぐらい内発的モチベーションが燃えることは他にない。これが田中教頭のPBL型授業の奥義である。

そんなことをやって東大や京大や一橋大の問題が解けるのか?と疑問にもたれたれた方は、およそそれらの大学の入試問題を研究したことがないといえよう。田中教頭の射程内に収まった骨太の啓蒙思想についての問題がまんま出題される。ご安心あれ。

富士見丘 SGHプログラム4年目に突入

富士見丘学園は、SGH(スーパーグローバルハイスクール)のプログラムを実施して、4年目を迎える。この間に、多くの輝かしい実績を積み上げてきたし、模擬国連部の活躍に代表されるようなSGH以外のグローバルな教育活動も広がった。

そしてまた、今年も新高1のSGHプログラムが、心優しくもパワフルに始まった。by 本間勇人 私立学校研究家

(昨年、釜石フィールドワークを通して「環境とライフスタイル」を探究した新高2生の新高1生に向けたガイダンスシーン。ユーモアもあり探求へのモチベーションを共有。)

 SGHプログラムは、高1では「サスティナビリティ基礎」という授業と「釜石フィールドワーク」を通して、持続可能な社会を創造するにはいかにしたら可能かを探究していく。高2になると、フィールドワークがシンガポール、マレーシア、台湾とグローバルな拠点に拡張する。慶応大学や上智大学などの高大連携プログラムも展開する。

したがって、高1時代に、調べるスキル、コミュニケーションスキル、論文編集スキル、インタビュースキル、プレゼンスキル、クリティカルシンキングなどアカデミックな探究の基礎を学ぶ必要がある。

(昨年の慶應義塾大学SFCの大川研究室との高大連携プログラム。スカイプで海外の高校生と協働企画について議論しているシーン。)

そのスキルを釜石フィールドワークを通して鍛えながら、その探究のまとめのレポートやプレゼンテーションが成果物となる。新高2生は、自分たちが学んできた内容やそこに到るまでのさまざまな苦労や気づきについて語り、SGHとは何かガイダンスを行った。

新高1生は、内進生と高校から入学してくる生徒が共存しているから、4月スタートしたばかりでのガイダンスは、どちらの生徒にとっても新しい探究活動を共に行っていくというというのはアイデンティティ形成にとっても大事な行事。

したがって、このようなガイダンスの集まりを仲間にエールをおくり、プライドと自信を共有する機会とするのも忘れないのが高1の学年主任の遠藤先生。スポーツや芸術活動で活躍している生徒の自己紹介の場を集会に瞬間的に織り込んだ。

自己紹介を終えて席についた生徒が周りの生徒とハイタッチしている雰囲気は、富士見丘学園が大切にしている心である「忠恕」という互いに尊重し、受け入れ、高め合う精神が浸透している証しでもあった。

こうして、また富士見丘のSGHの新たなステージは始まった。新高1生は、10月の釜石フィールドに向けて、サスティナビリティ基礎という授業で、知の準備を行っていく。

(昨年の高2のシンガポールフィールドワークを通してまとめあげた探究のプレゼンシーン。)

1年後、この新高1生が、様々な賞を受賞し、大学の教授陣が息をのむプレゼンを行うように成長しているだろう。このように、先輩が自分の経験値を後輩に伝えていく心優しい絆は、同時に毎年パワフルなグローバルな知を生んでいく。

それは富士見丘の教育自体を大きく変容させる力にもなろう。

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